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 《絵描き人田岡和也、あるいは決まり文句》

 

 愚かでない叛乱などありえない。パリ・コミューンにおいて闘った労働者たちは言っていなかっただろうか。「闘って死のう」──本末転倒な〈愚かさ〉をもっているから、叛乱は単なる暴動とは異なるのだ。「同じ失敗」は何度も繰り返されるべき、繰り返されるほかない本性をもっている。
──市田良彦「六八年革命は「存在」しなかった」
われわれ民衆にそもそも勝ち戦はないんです。勝ったときは世の中は変わっちゃうわけ。だから負けていいんです。なぜ負けたかを掴めればいいんです。だけど、負けるからもう戦わないとなったら、人間として失格なんです。内面的な戦い、精神的な戦いでもいいけれど、戦いというのはいっぱいあるわけ。〔……〕沢山の流血があって、この国王に従ってはダメだとか、このブルジョアに付き合っちゃダメだとか、知る。言い換えれば戦争という膨大な地を流して、やっと世の中が変わる。平和なときには変わりませんよ。むずかしいですね〔……〕
──土本典昭『ドキュメンタリーの海へ』
まずは事実の確認から始めてみよう──アート大阪2015が開催されている傍らの大阪駅構内で、彼は自身が描いた絵(アート)を持っていた。題して、「アート持つ大阪2015」。あっという間に、簡単に説明が済んでしまった。でも、これでは絵を持っている間に何が起こっていたのか、どんな状況だったのかがわからないだろう。あの日の大阪駅中央南口からホテルグランヴィア大阪周辺の様子を思い起こしながら、もう少し「アート持つ大阪」について詳述してみよう。
土曜昼間の大阪駅中央南口付近は人が絶え間なく行き来し、その流れが止まることはない。これから電車に乗り込む人、電車から降り立ち、別の路線へ乗り換える人、駅周辺の施設へ散っていく人……etc、右へ左へ、その激流は人をそのただ中に留める術を知らない。その激流の岸辺で、彼は絵を持ち続ける。「夢の中のこども」、F100号。キャンバス上に描かれた人物や記憶が時間や場所を超えて錯綜する。その絵をバックにして、現実の人の流れも激しく錯綜する。ただ淡々と繰り返される偶然の出会いと永久の別れ。100号の絵をもってしても、流れの中に留まることも難しいし、ましてや別のリズムを生み出すことなど望むべくもない。それほどまでに大阪駅構内が生み出すリズムは激しく強固だ。したがって、彼は人の流れに介入するわけでもなく、壁際や柱に寄って、絵を持ち続ける。100号の大作だけあって結構目立つのだが、先を急ぐ人びとは少し目線を動かすことはあっても、立ち止ることなく絵の前を通り過ぎていく。時間が経てば経つほど、あたかも以前からそこにあったかのように、中央南口の天井に埋め込まれた「世界にひらく大阪」のレリーフの下、100号の絵が大阪駅の構内に風景として溶け込んでいく。時々、流れから逃れ、待ち合わせで足を休めている人たちと会話が始まる。写真撮影を求められることもあった。けれど、その時も彼のセリフは至ってシンプルで穏便なものだ──「アートを持ってます」。
流れを見計らい、少しずつ場所を変えて移動をしていたものの、彼は人の流れと作品を風景に埋没させる力に目立って抗うことはしない。宣伝や商業行為の意図を露わにすれば、埋没していくこともなかったかもしれないが、彼はそれを禁欲した(そうすれば少なくとも穏便には済まなかっただろう)。「アートを持ってます」──その意志がないことを明快に告げるのみだ。バンクシーのようなスターを目指したわけでもないし、アート大阪に対する異議申し立てを行ったわけでもないし、敵意を剥き出しにしてヴァンダリズムに走ったわけでもなく、鮮烈にボミングしたわけでもなく、流麗なタグを描きつけたわけでもない。1日を通して彼がやっていることも、言うセリフも、一貫して変わることはなかった──アートを持ち続け、問われれば「アートを持っています」と答え続ける。事前の心配は杞憂となり、私の知る限り、穏便に「アート持つ大阪」は幕を閉じた。1日アートを持ち続けた分、肉体的な疲労を彼に残しはしたが。
100号の絵を持ち続けた末に到達した無の境地と、そして残った腰の痛み。次第に恥ずかしさを感じさせ、結局彼を家路につかせた、「小馬鹿にしたような視線」。その視線には、荒唐無稽とか、愚かな行い、という感情も含まれていただろう。そうした視線にさらされること数時間、彼自身をして自らを恥ずかしいと断ずるほどに、はたから見れば、それは「愚かな」姿でもあっただろう。アート大阪の舞台の片隅で演じられてしまった、アーティストの「愚か」な幕間の喜劇。大舞台で演じられる予定通りの演目に比べれば、1人の吹き上がったアーティストが繰り広げた茶番だと断じられてしまうかもしれない。実際、一方ではその誹りを免れることはできないだろう。「小馬鹿にしたような視線」はリアルタイムでそれを浴びせていたにすぎない。しかし、冷ややかな目線にならって「愚か」や「荒唐無稽」、「間違い」と断罪すれば、「アート持つ大阪」ついての一切すべては終わりなのだろうか。
彼はやみくもにアートを持ち、なりふり構わず「アートを持っている」というセリフを発していたわけではない。アート大阪が開催されている日時に、会場のホテルグランヴィア大阪に近く、来場者が多く通る中央南口にいなければならなかった。彼はアート大阪じたいと来場者を「アート持つ大阪2015」のメインターゲットに据えていた。そして、アーティストとして自らのアート(作品)を、アート大阪の傍らで持ち続ける。会場の近くでアートを持つことで、アート大阪という舞台に少しずつ揺さぶりをかけていた。
グランヴィア内では筋書きどおりに物語が繰り広げられている。アート大阪は斯斯云々こういうものであるという(どこそこの画廊が出展していて、誰某の作品が展示されている)という暗黙の合意のもとで繰り広げられる物語。そこに伝わる、中央南口付近にアーティストがアートを持っているという知らせ。静かにグランヴィア内で舞台を鑑賞していた観客たちが、興味をそそられたのか少しずつ会場外へと動く。図らずも、アート大阪の舞台は会場外へと広がった。アート大阪の舞台の片隅で予想外の演目が始まる。幕間劇「アート持つ大阪」、開演。激しい人の流れの中に現れる「夢の中のこども」、F100号。そして、それを持つアーティスト本人の姿。彼に近づくと「アートを持ってます」。この決まり文句以上の演技が披露されることはない。彼はあのウォール街の代書人なのだろうか?
この「アートを持ってます」は予想以上の破壊力を持っていた。誰もが当たり前だと思っていた舞台設定は当たり前のものではなくなった。誰かの作品が、どこそこの画廊のある部屋に展示され、それを観客が見て周って物語は進んでいた。「展覧会の絵」の組曲のように、各部屋で作品が披露され、観客は部屋を訪れて周る。各部屋とそれを結ぶプロムナードで構成される、規則的な物語だ。しかし傍らからの「アートを持ってます」というセリフを聞いて、観客たちがわざわざ会場外へ出たり、あるいは入場前や帰り際に様々な目線を投げかけたりすることで、規則的だった物語は変化せざるを得ない。作品が展示されている部屋を見て周るという舞台設定に対して、暗黙のうちに形成されていた合意が、徐々に引き裂かれていく。幕間劇は、それまで暗黙のうちの合意で1つなっていた観客たちの感覚を揺さぶり、分岐点を設定する。これまでの舞台設定が当たり前でないことが幕間劇で明るみになった今、観客たちが自身の感覚に向き合う。「こういうのもいい」、「海外ではこういうことも多い」、あるい「しょうもない」、「荒唐無稽」、そして「愚か」……etc。
脚本にすら載っていない人物が、想定しない形で、自らの意志で現れ、どういうわけか舞台上に立っている。いつの間にか、彼自身も登場人物となって物語が進行していく。観客は様々に反応する。驚き、眉をひそめ、喝采する。本来ならばアーティストは作品を作るだけで、ここで作品がどう展示され、自身がどう現れるかは、アーティストの力の及ばないところのはず。むしろ、あるべきところに留まって自重するのが、ここでの相応しい振舞いだ。しかしそれでも、アーティストは工夫し、アート大阪の舞台を奪用(要はつるセコだ)することで、自らの意志で、アーティストとして姿を現すことができた。彼は決してセルフ・プロモーションを行っていたわけではない。もちろん、この幕間劇で彼の名と作品を知った観客も存在するだろう。しかし、主役に踊り出たり、アート大阪に取って代わったりしたわけでもない。名声はささやかなものだ。しかし、名声以上の存在に彼はなった。アーティストのあるべきところを飛び越えて、イベント自体の舞台設定を問い、そこへの暗黙の合意を明るみに出し、観客たちの感覚を揺さぶった。「愚か」や「未熟」、「荒唐無稽」で切って捨てられ、おざなりにされている重要な問いかけへの扉を開いてみせた。アート持つ大阪を経た今、彼はアーティストなのだろうか? もちろん、作品を制作するアーティストであるのは今でも間違いない。でも同時に前述の意味のアーティストとは何か別の存在であるのも明らかになったことだ。
アーティストが大小のイベントやフェアに動員され、それは動かしがたい体制で、アーティストもそこに留まるを得ないのが現状かもしれない。しかし、その堅牢な世界であっても、まだ、誰が、何を、いつ、どこで、どのように、自らの意志で見せるか、現れるかという政治的な場面が発生する機会はあるようだし、アーティストが自己を解放する、アートを解放する必要性と機会はまだまだ存在しているようだ。アートは「日本的文脈」のような宿命や運命などに雁字搦めにはされていないのがよくわかったし、誰が、何を、いつ、どこで、どのように、自らの意志で見せるか、現れるかについて、アーティストがどんな解答を出すのか、その一端を目撃できただけでも、アート持つ大阪にいた甲斐があった。
■藤墳智史(ふじつか・さとし)
1981年、岐阜県生まれ。
「フラヌールの記録──神戸のPost-earthquake melancholia」(共著論考。『記憶する都市』(かもがわ出版、2006年)所収)、「 『ワンピース』の魅力」(『THE BIG ISSUE JAPAN 189号』(ビッグイシュー日本、2012年)所収)。

《富田団地BOYSインザドリーム》

 

共同アトリエの天井から、多くのドローイングが吊り下げられている。彼が幼いころのある時期、団地で暮らしていた時の思い出を題材にして描かれたものだ。団地での生活は彼の人生の中では短い時期だったが、その後移り住んだ先、そして現在でもなお、その時期の思い出は印象的なものだという。そうやって時に去来する思い出を、1枚に完結させるのではなく、ドローイングの連鎖という形で表してみせた。

かつては画一的で変化に乏しいというイメージを持っていたはずの「団地」が、これまでに広く特別な感情をかき立てる場所やテーマになるとは、誰が想像しただろう。戦後に広がった新しいものだったはずなのに、今や郷愁の念すら向けられている。「地球の周りの巨大な人口都市は人類の第二の故郷となり、人びとはそこで子を産み、育て、そして死んでいった」というナレーションが、ある物語の始まりを告げるように、団地も時を経て人びとの人生の始まりからの終わりを見届け、ある時代の象徴となった。そして彼もまた、自らの子どもが小学校へと進むという「ひとめぐり」を経て、自分がその年齢だった時をすごしていた団地に目を向ける。
彼の描く思い出はモノローグとして1枚1枚が断片化されているように見えるが、1枚1枚の光景が団地という環境の中で、多くの人やものが行き交って出来上がったものとも言えないだろうか。数多くあるドローイングのある1枚とある1枚がつながるかもしれないし、そこに過去を思い出したり、現在を重ねたり、未来を見出だしたりするかもしれない。多くの人が行き交い、同じ状態にとどまることはなく、たえず様々な物語がわき起こる場。
彼の手によって、思い出はプリズムを通過したように色鮮やかさを増し、私たちは親近感を得るほどにその彩りに魅了されてしまう。さらには、時間や空間を飛び越えて、多くの人や場所と広くつながっていくような、そう感じさせるのではないだろうか。「団地」という一時代もまた、彼にとっては自らを描き出す世界を彩るプリズムにほかならないのだ。
■藤墳智史(ふじつか・さとし)

 

2015.3.7 - 3.15

CAP STUDIO Y3

12の窓

Kazuya Taoka 展示作品音声ガイド

「団地ぶらぶらぶら」

田岡和也(Kazuya Taoka) + 藤墳智史(Satoshi Fujitsuka)

2015.2.24 収録